Размер видео: 1280 X 720853 X 480640 X 360
Показать панель управления
Автовоспроизведение
Автоповтор
他力が長年領解できなく、いろんな法話をyutubeできかせていただきましが、梯実演和上の法話が私には一番心に届きました。千福寺様が、私の実家のすぐ近所であり、小学校(宝永)の同級生(私67歳)の方の実家であることを知りました。これも何かの御縁かと知らされました。本当にありがとうございます。
ありがとうございます。何回お聴きしてもありがたいことです。先生のお話は親しみやすくて仏さまの生まれ変わりみたいです。
南無阿弥陀仏🙏🙏🙏ありがとうございます❤❤❤
ありがたい御法話です。とても幸せな気持ちになりました。ありがとうございます。南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏🙏
ありがとうございます。
ライブ配信ありがとうございます。梯和上の法座に出会い「他力」の意味を知ることができました。南無阿弥陀仏 南米パラグアイにて
南無大師遍照金剛🙏南無阿弥陀仏🙏
他力より、侍力の方が良い様に感じる辞書を調べて
南無阿弥陀仏
南無阿弥陀佛
なんまんだぶつ‼️なんまんだぶつ😊
南無妙法蓮華経🙏南無釈迦牟尼仏🙏
お話しの中で「学問の世界では、解らないところは切り捨てる」との発言がありました。違う法話でも、「学者は自分の学説を通すために都合の悪いところは切り捨てる」とも言われています。和上の本意は解りませんが、問題のある発言だと思います。真実の教えである親鸞聖人のお言葉を自分の価値観で切り捨ててよいのでしょうか?。切り捨てるということは、信じていないとも受け止められてしまうかも知れません。「いかなるか名づけて聞不具足とする。如来の諸説は十二部経なり。ただ六部を信じていまだに六部を信ぜず、このゆゑに名づけて聞不具足とす。・・・」
浄土真宗初心者ですが、解らないことを切り捨てることを肯定しているようには聞こえませんでした。「解らないこと全部切り捨てている、ところがそこに問題がある」「切り捨てたものの中に大事なものがある」とおっしゃってますし、むしろ否定しているように聞こえました。
@@hiroshiwatanabe980 和上の法話は信心の話に本願力回向を後付けしているように感じました。お聖教にはもっと大切なことが説かれているように思くのですが、そこには全く触れられていません。和上はみ教えを深く理解されているお方なので、解らないところを切り捨てるようなことはないと思います。しかし「切り捨てたものの中に大事なものがある」と言っておきながら、和上自らが大事なところを切り捨てて話されているように思うのです。
@@弘幸村上-m7n 自分には少し難しいお答えですが、そういうことなんですね。ありがとうございます。
@@hiroshiwatanabe980 返信ありがとうございます。ちなみに親鸞聖人がお書物のなかで「他力とはこういうことだ」とお示しになられているご文には、次のようなお言葉があります。「いかにいはんや十方の群生海、この行信に帰命すれば摂取して捨てたまはず。ゆゑに阿弥陀仏と名づけたてまつると。これを他力といふ。」「他力といふは如来の本願力なり。」「本願力といふは、大菩薩、法身のなかにして、・・・」このご文のなかに、「およそこれかの浄土に生ずると、およびかの菩薩・人・天の起すところの諸行は、みな阿弥陀如来の本願力によるがゆゑに。」とあり、和上はこの部分を信心を中心にしてお話しをされています。ここまでは『教行信証・行文類』のお言葉です。『入出二門偈』には、「すなはちこれ入出二門を他力と名づくとのたまへり。」『高僧和讃』には、「信心すなはち一心なり 一心すなはち金剛心 金剛心は菩提心 この心すなはち他力なり」他力について解説されているお言葉は、他にもあります。長くなってしまいました。
@@弘幸村上-m7n いろいろと教えていただきありがとうございます。わが家の宗派は真言宗であり、浄土真宗に興味を持って日が浅いためわからないことばかりですが、この道しかないような気がしているので聞法を励みたいと思っています。最近は他に加茂仰順和上のご法話もお聴聞させていただいていますが、今はネットで亡くなった方の御法話もお聴聞できるのでありがたいです。
他力が長年領解できなく、いろんな法話をyutubeできかせていただきましが、
梯実演和上の法話が私には一番心に届きました。
千福寺様が、私の実家のすぐ近所であり、小学校(宝永)の同級生(私67歳)の方の実家であることを知りました。
これも何かの御縁かと知らされました。
本当にありがとうございます。
ありがとうございます。
何回お聴きしてもありがたいことです。先生のお話は親しみやすくて仏さまの生まれ変わりみたいです。
南無阿弥陀仏🙏🙏🙏ありがとうございます❤❤❤
ありがたい御法話です。
とても幸せな気持ちになりました。ありがとうございます。
南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏🙏
ありがとうございます。
ライブ配信ありがとうございます。梯和上の法座に出会い「他力」の意味を知ることができました。南無阿弥陀仏 南米パラグアイにて
南無大師遍照金剛🙏
南無阿弥陀仏🙏
他力より、侍力の方が良い様に感じる辞書を調べて
南無阿弥陀仏
南無阿弥陀佛
なんまんだぶつ‼️なんまんだぶつ😊
南無妙法蓮華経🙏
南無釈迦牟尼仏🙏
お話しの中で「学問の世界では、解らないところは切り捨てる」との発言がありました。違う法話でも、「学者は自分の学説を通すために都合の悪いところは切り捨てる」とも言われています。和上の本意は解りませんが、問題のある発言だと思います。
真実の教えである親鸞聖人のお言葉を自分の価値観で切り捨ててよいのでしょうか?。切り捨てるということは、信じていないとも受け止められてしまうかも知れません。
「いかなるか名づけて聞不具足とする。如来の諸説は十二部経なり。ただ六部を信じていまだに六部を信ぜず、このゆゑに名づけて聞不具足とす。・・・」
浄土真宗初心者ですが、解らないことを切り捨てることを肯定しているようには聞こえませんでした。
「解らないこと全部切り捨てている、ところがそこに問題がある」「切り捨てたものの中に大事なものがある」とおっしゃってますし、むしろ否定しているように聞こえました。
@@hiroshiwatanabe980 和上の法話は信心の話に本願力回向を後付けしているように感じました。
お聖教にはもっと大切なことが説かれているように思くのですが、そこには全く触れられていません。
和上はみ教えを深く理解されているお方なので、解らないところを切り捨てるようなことはないと思います。
しかし「切り捨てたものの中に大事なものがある」と言っておきながら、和上自らが大事なところを切り捨てて話されているように思うのです。
@@弘幸村上-m7n 自分には少し難しいお答えですが、そういうことなんですね。
ありがとうございます。
@@hiroshiwatanabe980 返信ありがとうございます。
ちなみに親鸞聖人がお書物のなかで「他力とはこういうことだ」とお示しになられているご文には、次のようなお言葉があります。
「いかにいはんや十方の群生海、この行信に帰命すれば摂取して捨てたまはず。ゆゑに阿弥陀仏と名づけたてまつると。これを他力といふ。」
「他力といふは如来の本願力なり。」
「本願力といふは、大菩薩、法身のなかにして、・・・」
このご文のなかに、「およそこれかの浄土に生ずると、およびかの菩薩・人・天の起すところの諸行は、みな阿弥陀如来の本願力によるがゆゑに。」とあり、和上はこの部分を信心を中心にしてお話しをされています。
ここまでは『教行信証・行文類』のお言葉です。
『入出二門偈』には、「すなはちこれ入出二門を他力と名づくとのたまへり。」
『高僧和讃』には、「信心すなはち一心なり 一心すなはち金剛心 金剛心は菩提心 この心すなはち他力なり」
他力について解説されているお言葉は、他にもあります。
長くなってしまいました。
@@弘幸村上-m7n いろいろと教えていただきありがとうございます。
わが家の宗派は真言宗であり、浄土真宗に興味を持って日が浅いためわからないことばかりですが、この道しかないような気がしているので聞法を励みたいと思っています。
最近は他に加茂仰順和上のご法話もお聴聞させていただいていますが、今はネットで亡くなった方の御法話もお聴聞できるのでありがたいです。
南無阿弥陀仏
南無阿弥陀仏
南無阿弥陀仏